周囲の学生は高校時代に写真部だったり、何とか展入選とか、
ともかくカメラすら持ったことのない僕のレベルではお話にならないのは明らかだった。 まず最初に撮影をしてモノクロームの現像を学ぶのだが、 僕「へぇ〜不思議だ!画像が出てくる〜」同級生達は「焼きが甘いな、黒が締まってないな…」 こんな具合だったのだがら、推して知るべしだ。 ではどんな学生生活を送っていたかというと、 御茶ノ水にキャンパスがあったので、とりあえず「行ってきます!」とオニギリを作ってもらい、 家を出る。そして僕が向かった先はもう一駅手前の飯田橋。 そう当時はここにギンレイホール、佳作座といったいわゆる名画座があった。 そして入れ替え無しでずっといられたので3本立てを何度も繰り返して見て、 最後にはその映画の決め台詞を覚えてしまうほどだった。 そして学校に行くのは学園祭と体育祭、野球大会程度になり、 あとはほとんどの時間を映画館で過ごして居た。 元々、親父の家業が浅草の氷屋で花屋敷の真裏に自宅があったので、 幼少期はもっぱら花屋敷が遊び場で、時々親父について氷を納めに、 映画館やロック座についていき、映画館は見放題、ストリップ劇場の楽屋でも人気者で、 「氷屋の僕〜差し入れにもらったお菓子があるからあげるわよ!」なんて、 今思えば露わなオッパイに囲まれていた!(これはもう少し大きくなってから体験したかった…) そんな過去があるので、当時観た映画は子供には渋いものばかりで、 まさに大人の世界を背伸びして覗き見しているようだったが、 今思えばこの当時から銀幕の世界に憧れ、海外行ってみたい、 イングリット・バーグマンの美貌に子供心に恋をして、 グレース・ケリー、オードリー・ヘップバーンに会ってみたい、 そしてハンフリー・ボガードやロバート・テイラーの渋さに憧れていた。 しかし現実の問題として、僕の学校生活は破綻をきたしていたのだが、 担当の先生が「お前は学校にいてもダメだ!だから卒業して社会でもまれて来い!」 と学業以外のイベントでの活躍を評価したらしく、学校を体良く追い出された形になった。 そして僕に残された猶予はあと2年。 約束の4年後には何かでメシを食ってないと、自衛隊に行かされる… どうしてもそれは回避したい、真剣に思い悩んだ僕は、 自分が卒業したスキースクールのインストラクターになろうか?そう思っていた。 でも冬はいいけど夏はどうする?スクールに相談したら「うちのリンゴ園で働けば」と言われたのだが、 さすがにリンゴ園はねえ〜 せめてテニスのインストラクターか何かだったら、迷わずに僕はこの道に進んでいたはずだった。 そして卒業を控えた時期に、同級生から撮影のアルバイトをしないか?と誘いがきた。 高校時代自分がプレーヤーだったバスケットボールで国体の試合だった。 もちろんスポーツを撮るなんて初めてだし、右も左も分からない状態だが、 とりあえずなんとかなるか?そう思いカメラを持って、長野の国体会場まで向かった。 おそらくこれが僕の最初の撮影としての「仕事」で、 給料は当時、時給600円。バスケの一試合は約1時間半なので一試合撮ると900円也! フィルムと現像代は出してくれたが、基本的に版権は会社持ち。 今ならありえないと言えるが、当時の僕にはこれでも破格の条件に思えたのだ。 そして結果的にこの時に撮影した1枚が編集長の目に止まり、僕の運命は大きく動き出すことになる。 #
by MICROPARIS
| 2016-06-21 01:10
| LIFE
最初に僕がそもそもなぜ写真家になったか?
その理由を話しておくべきだろう。 僕は中、高生時代、バスケットボールに夢中になっていた。 そして将来は体育系の大学に進み体育の教員になりたい、そう思っていた。 東京都でベスト8に入るか入らないかという程度のチームだったが、 どうやら大学への推薦はもらえそうであった。 部活の練習は朝7時から8時半まで、夕方は授業終了から夜8時頃まで、 そして休みは12月31日、1月1日の2日間だけと、今考えても相当な練習量であった。 僕の通っている高校は同じ東京都内でも反対側にあったこともあり、 通学に1時間半はかかっていたので、 朝家を出るのは6時、夜家に帰ると10時、 ご飯を食べてお風呂に入って寝るだけと、こんな生活が当たり前だった。 高校3年生、大学の推薦をもらう段階で身体検査があった。 そしてこの結果が僕の運命を大きく変えることになる... 連日のハードな練習の結果、チームは強さを増して行ったが、 と同時に僕の体にはいつの間にか疲労が蓄積されていた。 その問題の身体検査で、僕の体に異常が見つかり、 希望していた大学への推薦は取り消されてしまった。 自暴自棄ではないが、某大学の付属高校だった僕は、 自分が進みたい他大学に行けないことから、 付属の大学に行くことさえ興味を失って行った。 高校3年生の秋、みんながそろそろ進路を決めだすころ、 部活も終えていた僕は、毎日夕方4時頃には家に帰っていたのだが、 そんな時に見るともなくスイッチを入れていたテレビ番組の再放送を見ていて、 突然、「カメラマンって面白そうだ!」そう思ったのだ。 今思い出しても不思議なくらいの衝動であり決断力だった。 翌日学校に行って進路指導の先生に、 「写真学校に行って、カメラマンになります!」と告げると、 その翌日には校長、担任に両親も呼び出され、 「何考えてるんだ!」と「大学の付属高校なんだから大学へ行け!」と、 学校側から説得の嵐を受けた。 幸いなこと(?)に我が両親は僕の意志を尊重し、我が侭を許してくれ、 「大学に行ったと思って、4年間は時間を上げるから好きにしろ」と言ってくれた。 ただし4年かけてモノにならなかったら自衛隊に行くという条件付きだったが(笑) それでも不満の担任は「お前は写真なんて撮ったことあるのか?」と最後に僕に尋ねた。 「撮られることはあっても、カメラも持ってないし、撮った記憶はありません!」これが僕の答えであった。 いま思っても冗談みたいな人生の選択だったかも知れない... だが本人は至って真面目に、写真学校に行けばカメラマンになれる! そう思っていたのだから、何も知らないということは強いものである。 しかし写真学校に入ってからの日々は… #
by MICROPARIS
| 2016-06-16 11:05
| LIFE
リーチの誕生日。
まあよくここまで生きてきたもんだ〜これ正直な感想。 そして感謝の気持ち。 これまで右か左か?上か下か下か?みたいな選択を迫られる瞬間が幾度となくあった。 その都度僕は自分の本能で判断を下し、選び進んで来た。 振り返ってみたああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔することはないけれど、 ああしたどうだったろうか?こうしたらどうだったろうか? 異なる選択の結果を想像することはある。 でも現実は今の僕で、個人的には楽しい人生だと思っている。 そんな基本的には能天気な僕が、 いつしか自分は生かされていると思うようになった。 日本を襲った未曾有の天災。 僕よりもはるかに若い多くの命があっという間に失われていったあの日... そんな若人のことを思うと、切なく胸が痛む。 そして同時に消え去った たくさんの夢や希望、未来を思うと心が沈む… でもだからこそ、生かされているのだからせめてその瞬間までは、 精一杯全力で生きなくちゃ!改めてそう思うようになった。 最後の瞬間まで全開で走り続ける、 そんな男で居られるか?自問自答を繰り返した「アラ還」の誕生日だった。 The life is too short,but the life is too interesting! そして僕はこれからも走り続ける! P.S 誕生日のメッセージを下さった多くの方々、本当にありがとうございます! 時間はかかってもじっくりとお返事を書きたいと思っていますので! #
by MICROPARIS
| 2016-05-13 00:05
| LIFE
イタリア、イモラ。
何故か僕がホテルで機材一式を盗まれた、いい思い出の少ない場所だ。 そしてやはりいつになっても特別な日に違いはない。 あの日、あの時、僕はその場所にいた... どうしても忌まわしい週末だったと、その一言で片付けるわけにはいかない。 それから10年後に写真集を出し、サンパウロへ墓参もした。 でも今でも不思議だ。 あのセナが、そんなはずはない... 彼とファインダー越しに対峙した一枚がある。 不思議と周りには僕しかカメラマンがおらず、 セッション後にピットから出てきた彼と偶然出くわしたのだが、 彼は僕のカメラから目を逸らそうとはしない... ならばこちらも逸らすわけにはいかない。 だが悲しいかな当時は36カットのフィルム時代... 僕はシャッターを押し続け、やがてワインダーの巻き戻しが始まった。 その瞬間、セナがニヤリと悪ガキのような笑顔で僕の前から去った... その瞬間、何故か負けたと思った。 でもどうしてか悔しさはなく、僕もファインダーから目を外し笑っていた。 56歳の彼はどんなだろうか?ふと想像をする。 腹も出て頭も薄くなり...(笑) 現実の僕は歳を重ねて老いていくが、イメージの中の彼はそのまま。 なんか狡い気もする。そして不思議な気分だ。 Adeus Ayrton! #
by MICROPARIS
| 2016-05-01 03:59
| F1
ものすごく唐突だけど、しばらくは僕の「一番物語」を続けていこうかと思っている。
これはかつて個人的に掲載していたブログに書き綴っていたのもだが、 元々、なぜカメラマンなのか?そしてなぜF1なのか?という僕の原点の記録でもある。 タイムリーな話ではないけど、自分の足取りを振り返り、次の一歩を踏み出すためにもありか?と思い、 自分の為に勝手に書き続けることにした(笑) イギリス人ジャーナリストM氏に半ば煽られた感じはあるが、 それでもとりあえずパリをベースにF1の取材活動が始まった。 基本的にヨーロッパラウンドは車で移動(前のブログで書いたけど、 あの経験があるので車での移動は苦じゃないので) そしてフライアウェイはパリからフライトで...そして何シーズンか過ぎた。 サーキットで顔は合わすが、お互いに忙しくゆっくり話ができる状態でもなく、 常にバタバタしていたのだが、そんな中で久しぶりにM氏と話す機会があった。 僕がパリをベースにしたことは他のジャーナリストから聞いていたようだが、 実は彼は僕がイギリスに来ると思っていたようだ。 そして開口一番「なんでフランスなんだ?」と言ってきた。 僕は残念だけどイギリスのご飯は口に合わないと優しく言って(笑) そして申し訳なさそうに天気も悪いから…と答えると彼は腹を抱えて笑い、 まるで自分のことのように嬉しそうに「Wel come to the circus!」と僕の肩を大きな手で掴み揺すった。 これでどうやら本当にF1サーカスのメンバーの一員になれたのかな?そう思えた瞬間でもあった。 パリをベースにして移動するようになると、 自然とフランス系のチームのクルーやスタッフと顔を合わす機会が増え、 いろんな話をするようにもなった。 特にルノーのスタッフにはよく会った(当時はエンジンサプライヤー) 昔、ルノースポーツのボスだったベルナール・デュド氏やミシュランタイヤのデュパスキエ氏ともよく会っていたが、 僕がパリに住んでいると知ると、彼らもよく話しかけてくるようになり、 ルノールポーツに遊びに来いとか、あそこのレストランは美味いぞ!なんて情報もくれるようになった。 そしてなんとその数年後にはフランスのルノーと日本人カメラマンとして初めて契約をすることになる。 もちろんきっかけはF1SCENEだ。 当時パリの6区、ギャラリー街に在ったオフィスで編集作業をしていたのだが、 シーズンオフのテストからシーズンを通して、ルノーエンジンが撤退するまで、 撮影された写真はシャンゼリーゼのルノーのショールームやサーキットで飾ったり、展示されたりした。 そして最初は「なぜ日本人が…」と受け入れてくれなかった一部フランス人フォトグラファー達だが、 これを機会に態度が一変したのは面白かった。 「ミヤタはパリに住んでて、いい仕事してるよ!」とまるで自分の仲間のように対外的には振る舞う(笑) それまでは冷ややかな目で僕を見ていた奴らのこの豹変ぶり、いいんだけどね別に〜 でもそのおかげで仕事もやりやすくなったし、パリのレストランやカフェで彼らに会う機会もあり、 いつしか旧知の友人のように思えてくるのだから、人の気持ちは不思議なものだ。 #
by MICROPARIS
| 2016-04-26 00:11
| LIFE
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