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チャンス or ピンチ?そして海外へ
仕事として初めての撮影、そしてその写真が掲載された雑誌。
今なら当たり前だが、その頃の僕には不思議な感覚だった。
もちろん翌春には卒業なので、学校にも多くの就職斡旋が届いていた。
だが多くはスタジオのアシスタントや現像所、カメラ量販店などで、
僕にはどれもがしっくり来なかった...
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そして自宅で漠然と自分のクレジットが入った雑誌を眺めていた時に、
その雑誌の編集長から呼び出しがあった。
何事か?何か問題だったのか?いろいろな思いを巡らせたが、
その時の僕には完璧に想像外の話だった。

緊張した面持ちで編集部に行くとデスクで待っていた彼が開口一番に、
「君はもう卒業だろう?そのあとはどうするんだ?」
「未だハッキリしてないのですが…」
そう言いながらスキースクールのインストラクター姿の自分を想像していたのだが...
「決まってないのなら、編集部で働いてみないか?」
えっ?それって編集部員になるってこと?正社員??
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「もちろん最初はアルバイトだけど、やってみないか?」
具体的な就職もはっきりとしていなかった僕には嬉しい話だった。
自分の心の中のもう一人の自分が進め!と言っていた。
僕は迷わずその話を受けることにした。
卒業を迎える前に当初は時給で働く編集部員として、
新しい世界に一歩を踏み出すことになった。
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もちろん写真も撮り、記事も書き編集作業もする。
日本中を取材しながら回ることが僕には嬉しく楽しい仕事だった。
そんな生活に馴染み出した頃、僕の人生に影響を与えるような出来事があった。
その出版社は決して大出版社ではなかったが、
当時はバスケットボール以外にもバレーボールを扱っていた。
バレーボールのワールドカップが日本で開催されるようになり、
カメラマンが足りない!という事態になり、バスケットの編集部員だった僕の写真を知っていた、
バレー誌の編集長からのオファーにより、バレーボールの写真を撮る事になった。
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これを機にバスケットボール以外にも他のスポーツの写真も手がけるようになった。
その後、テニスやゴルフ雑誌も出版するようになり、
気が付けば写真を撮る時間が増え、カメラマンがいつの間にか本業みたいになっていた。
この頃には時給扱いの僕は日当扱いになっていたのだが、
当時の日給は5千円、でも20日働けば10万円、実際に仕事量も多く、
どこへ行くのも会社が経費を出してくれるので、二十歳の僕には十分だった。
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だがこの出版社で僕の人生を更に決定付けるような出来事が起きた。
ある日、編集長から「君は英語はできるか?」そう尋ねられた。
小学校からインド人の先生に英会話をな習っていた僕だが、
決して自信があるわけではなかった。しかし僕の心の中のもう一人の僕がハッキリといった。
「出来ると言い切れ!なんとかなるぞ!」
もしかして、これはチャンスかもしれない…憧れていた海外取材かもしれない!
そう思うと僕は自信たっぷりに「できます!」と言い切っていた(笑)
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それが切っ掛けで、僕は初めての海外取材を経験することになるのだが。
大きな出版社ではなかったので、編集部員とカメラマンの二人を送るよりは、
一人で写真も撮って記事も書ければ経費も浮くし…
今思えばおそらくはそんな理由だったのだろう。
だが初めての海外取材を任された僕には理由は必要ではなかった。
女子バスケットボール世界選手権、初めての海外は隣国の韓国だったが、
それもまた僕には日本以外ならどこでもよかった。
無事にイベントの取材を終えて日本に戻ると、
さらに別件のオファーが僕を待っていた。
by MICROPARIS | 2016-06-29 17:00 | 「僕の一番物語
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