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慈善と偽善...
オーストラリアGPを終えて、少々風邪気味かも...
連日寒〜いフォトグラファーズルームに缶詰になっていたからね。
それなのに、今日は何といきなり30℃!
自分が熱があるんじゃないかと、心配になってしまった。

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そんなボンヤリとした頭の中を、
ずっと気になっていた事が堂々巡りをしていた。
まあこのテーマはどうしようか?そう思っていたのだが、
気になったまま引きずるのは良くないので、書くことにした。

東日本大震災のあと雨後のタケノコのように表れてきた「義援金」、
誰も彼もが義援金。

もちろん善意は嬉しいし、いい事だと思う。
だが我が身にとってはちょっと複雑なこともあるのだ。
例えば、僕は国内では被災者でない。
だが、一歩日本から出ると当然だが被災者として扱われることになる、
彼らからすれば当然なのだろうが、皆心配してくれる...

家族は皆無事だよ!と同じ話を会う人ごとに幾度も繰り返しているうちに、
ふと僕の頭の中に浮かんだことがあった。
それは本来、被災者は義援金集めの活動などしないものではないか?
という疑問であった。

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被災者自らが旗振って義援金活動?何か変だよね...
今まで日本が他国にどれだけ貢献してきたか?
その国との友好関係などによって、困っている国や人に、
相手が勝手に始めるものなんじゃないの?
そして手伝って!と言われたら喜んで!というものだよね...

サイトに名前や顔を載せるのもどうかと僕は思う。
もちろん誰もが知っている著名人ならそれは募金活動においても、
信頼や効果という観点からはいいと思う。
しかし一般の人が名前や顔を載せてどうするの?
アンタいったい誰?

もしも本当にボランティアや慈善なら、名前や顔を出す必要はないでしょ?
写真付きで堂々と名前や組織名を載せている義援金サイトを見ていると、
僕は少々複雑な思いになる。

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義援と言う名の売名行為?
なんだろう...日本人はスマートじゃないね。
タイガーマスクでいいじゃないの?
その方がよっぽど気持いいよね!

慈善と偽善、この一文字の違いが持つ意味は果てしなくかけ離れていて、
決して交わる事はない...
by microparis | 2011-03-28 14:26 | Etc...
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